もう一つ、これまでとは違った角度からもトランスジェンダーという言葉を説明してみます。

冒頭から繰り返し見てきた「割り当てられた性別とジェンダーアイデンティティが異なる人」という定義は、自分自身をどう実感ないし経験しているかに焦点を当てた説明です。ようするに、個人の自己認識を重視した定義です。

しかし、そうしたジェンダーアイデンティティの概念が誕生し、流通する以前から、「トランス的な」人たちは存在していました。例えば現代の私たちにとって、「女装をしている男性」と「トランスジェンダーの女性」は別ものです。後者の人にはある、女性としてのジェンダーアイデンティティが、前者の人にはないからです。しかし、そうした概念や発想が一般的でなかった時代を生きていた当人たちにとって、その二つを厳密に区別することにはほとんど意味がないかもしれません。実際のところ、「女装」して日常生活を送れることで「男」としての生活を手放し、今でいう「トランス女性」的な境遇に置かれつつ生きてきた人たちが、日本にも多くいます。

結果としてそうした人たちは、ジェンダーアイデンティティ概念に基づく(現代的な定義の)トランスジェンダーの人たちと同様の状況に置かれ、「トランス差別」を受けることがあります。

このとき、そのように同じ差別の雨に打たれている人々が集まる傘(アンブレラ)として、「トランスジェンダー」という言葉が使われることがあります。それが、アンブレラタームとしてのトランスジェンダーです。このときトランスジェンダーとは、割り当てられた性別に期待される姿で生きることをしない人々を幅広く包摂する言葉になります。これは現在では国連などでも採用されている用法ですが、この用法に従えば、その人のジェンダーアイデンティティを問わず、振る舞い方や服装が(狭く期待される)典型的な女性・男性の枠からはみでている人たちが、広くトランスジェンダーと呼ばれることになります。

そうして同じ差別を経験することは、同時に、同じ差別に対抗する政治主体としての「トランスジェンダー」を生みだしもします。個人のアイデンティティよりも、社会からの扱われ方から共通性が生まれ、政治的アイデンティティとしてのトランスジェンダーが作られていくということです。歴史的にも、そうした政治主体はさまざまなかたちで存在してきました。これが、アンブレラタームとしてのトランスジェンダーです。

以上、少しでもトランスジェンダーの人たちの現実に通じてもらうため、トランスジェンダーを理解するための三つの説明を紹介しました。しかし現代において最も通用している「定義」は、あくまでも最初に紹介したものです。そのため後半の二つはその主流の定義を補足するものと理解してください。