最後に一つのたとえを使って、本章で紹介してきたトランスジェンダー(およびシスジェンダー)の説明を補足しておきましょう。
これまで何度か、生まれた子どもは性別を割り当てられると述べてきました。この「割り当て」という事態は、子どもに二つの「課題」が与えられることとして理解可能です。 一つ目は、「女の子として/男の子としてこれからずっと生きなさい」という課題。 二つ目は、「女の子は女の子らしく/男の子は男の子らしく生きなさい」という課題。 ここでは、二つ目の課題から説明しましょう。「女の子は女の子らしく/男の子は男の子らしく生きなさい」という課題は、トランスジェンダーではない多くの人々にとっても、身に覚えがあるはずです。 例えば、皆さんが「フェミニスト」としてイメージする人々は、きっと「女らしさ」からの解放を求めていることが多いでしょう。つまり、女だからといって「女らしさ」を求めるな、「女らしさ」は女性たちを抑圧する男性たちによる都合の良い押しつけだ、という具合です。これは、「女らしさ/女の子らしさ」という「規範」に対する異議申し立てであり、先ほどの言葉を使えば、二つ目の課題の押しつけに対する反発や抵抗であると言えます。
私たちの社会では、依然としてそれぞれの性別に「らしさ」が強固に結びついており、そうした「女らしさ」や「男らしさ」は、人々を苦しめるものであり続けています。ある人が「自分らしく」生きることよりも、その「性別らしさ」が優先されてしまうなら、個人の自由な生き方は妨げられてしまいます。女性だからといって家事や育児を無償で担わなければならないのはおかしいですし、男性だからといってリーダー役を強いられたり、家庭外で長時間働かされたりするのもおかしなことです。ですから、生まれてからずっと押しつけられる、この「らしさ」についての課題(二つ目の課題)と闘うことはとても大切なことです。「女らしさ」や「男らしさ」は時代や地域によって内容に差がありますが、どの文化圏に生きていようと、誰かに押しつけられるべきことではないでしょう。 他方、「らしさ」に異論を唱える人が「女性だからといってどうして女性らしくしなければならないのか」と述べるとき、そこでその人が「女性であること」は、前提とされています。その人は「女性であること」そのものに異議申し立てをしているわけではないのです。もし、その人がトランスジェンダーでないなら、その人は生まれてから今に至るまで「女性である」という状態を引き受け続けてきたのでしょう。このとき、その人は「あなたは女の子ですよ/女性としてずっと生きていってください」という一つ目の課題につ
いては、上手にその課題をクリアし続けていることになります。もしかするとその人は、あまりに上手にその課題をクリアできてしまっているために、自分にそうした「課題」が与えられていたという事実にすら気づいていないかもしれません。 トランスジェンダーの人がクリアできなかったのは、その一つ目の課題です。生まれたときに(外性器の形一つで)割り当てられた性別。その性別の人間として、終生変わらず生きてください、という一つ目の課題。トランスジェンダーの人々は、その割り当てられた性別とは異なるジェンダーアイデンティティを獲得することによって、あるいは生きていくうえで結果として性別を変えてしまうことによって、その課題を棄却します。「女の子として/男の子としてこれからずっと生きなさい」という一つ目の課題は、トランスジェンダーの人々にとってあまりにも重すぎましたし、強いられるべきではない間違った課題だったのです。 もちろん、トランスジェンダーの人も、シスジェンダーの人と同様に、二つ目の課題に悩むことがあります。ただし、この二つの課題が異なる課題であることは、常に意識しておく必要があるでしょう。