ここまで、「社会的な性別移行」と「医学的な性別移行」について、簡単にではありますがその内容を見てきました。ただ、今皆さんが持っているかもしれないイメージのようには、性別移行の試みはまっすぐには進みません。ここでも想起してほしいのは、性別が社会のなかにあるということです。私たちの社会生活はさまざまな場所をめぐりながら営まれていますが、それぞれの場所で、自分が女性なのか男性なのか、私たちは常に問われています。

ここで、架空のトランス男性であるハルトの物語を思いだしてみましょう。ハルトの生活は、どのようになっているでしょうか。

生活時間のほぼ全域にわたって男性として生きるようになったハルトですが、いまだに「女性」として存在させられてしまう場もありました。例えば実家に帰ったときや、地元の友人が遊びに来ているとき、また病院で保険証を見せるときなどは、女性と見なされ、女性扱いを受け、その場においては、一時的にであれ女性として存在させられるわけです。

このように、私たちの生活はさまざまな「場」で構成されています。トランスジェンダーたちは、ある場所では移行前の性別として、またほかの場所では移行後の性別として、場ごとに異なった認識のされ方をすることがあります。そのためトランスたちは、オセロの盤面を1マスずつ埋めていくように、1枚ずつ盤面の色を変えていくように、一つひとつの場において自分の性別を移行させていく必要があります。一気に全てのマスの色が変わるわけではありません。ふらっと立ち寄るアパレル店で男性客として存在できたとしても、実家に帰って、兄のいるリビングで「男性」として認められ存在できるようになるまでには、長い時間がかかることもあります。

そして、ここで注目してほしいのは、「場」ごとにどのように性別が認識されているのか、その決定権を握る要素はそれぞれの場ごとに異なっているということでず。例えば、知り合いのいないアパレル店では、性別が認識されるにあたっての最も重要な情報はパッと見ただけで判断される外見でしょう。しかし地元の友人や、実家の家族がいる場所では、「女友達」だったという過去の事実や、女性として育てられてきた来歴が、ハルトがどんな性別の人間として存在を許されているかにあたって圧倒的に重みを持っています。

このような「場」の分散は、実はトランスジェンダーだけではなくシスジェンダーも経験することがあります。例えばシス女性でも、低い声で不機嫌に電話に出ると、相手先から男性だと思われるかもしれません。そこでは声だけが性別の判断材料として使われているからです。シス男性でも、中性的な名前(カオルやミズキなど)だと、名前だけで女性だ と思われて失礼なメールを受け取ることがあるかもしれません。そこでは文面上の名前が判断材料になっているからです。こういったとき、そのシスジェンダーの人は、ごくごく限定的にではありますが、場によって性別が分散する経験をしていると言えそうです。

トランスジェンダーの場合も同様です。違いがあるとすれば、シスジェンダーよりも多くの場の分散を経験しているという点でしょう。本人のジェンダーアイデンティティや望む生活によらず、さまざまな場所に応じて、どのような性別の人間として存在することができているかという実態が、トランスの場合はシスよりも著しく分散することがあります。