パスと埋没 もちろん、そうした「分散」はトランスの人にとっては快適な状態ではありません。ハルトの場合、男性として生きていきたいのに、なかなか男性としての存在を許されない場所があることは確実にストレスになりますし、状況によっては危険を感じることもあるで しょう。 そのためトランスたちは、性別の「分散」をなるべく減らして、移行後の性別で、どの 70 71 第2章 性別移行

ような場においても一貫して生きることができる状態を目指すことが多くなります。もちろん、そうした場の「収束」には長い時間がかかります。これらの事実から私たちが覚えておくべきは、性別移行とはとても地道で、ゆっくりしたものにならざるを得ないということです。性別移行は、「今日から男」とか「今日から女」とか、そんなふうに簡単なものではありません。トランスのジェンダーアイデンティティが十分に尊重される場所がまだまだ乏しい現在、そうした性別の分散を減らすための多大なコストを、トランスの人たちは個々人で継続的に払い続けることになるのです。 ときに、このような「分散」が完全になくなり、「収束」が完成することもあります。 トランスジェンダーであるという事実を誰にも知られることなく、もっぱら移行後の性別の人間として生きる状態、つまりオセロの色を白から黒へ全てひっくり返した状態です。 そうした状況にある人のことを「埋没している」と言います。 これに対して、トランスの人が移行後の性別として認識されることはしばしば「パスする」と呼ばれます。「パス」とは、望む性別として承認され、難なくその場を通過できる状態を意味します。 とはいえ、ある場所で女性や男性としてパスすることと、恒常的に女性や男性として埋 没することは、大きく異なります。場所ごとにパスできる空間を増やしたとしても、オセロの全てのマスを移行後の性別に塗り替えて埋没するまでには、それよりもはるかに長い道のりがあるからです。 そうした埋没を目指す過程で、トランスの人たちはいろいろな「場」を切り捨てることがあります。そうすることで、場の分散を減らすことができるからです。過去の友人と一切連絡を取らないようにする、実家と縁を切る、転職するなどはその一例です。トランス 男性の場合、自分を女性として認識している人との縁を切れば、自分が「女性」として存在させられてしまう場所が存在するという、場の分散を減らすことができるでしょう。 ただし絶対に覚えておくべきなのは、こういった「場」の切り捨てを、トランスたちは好き好んでやっているわけではないということです。自分が自分として生きていくために、自分が自分として生きられない場所を減らすために、少しでも新しい自分の生活を安定させるために、多くの場合はやむを得ず、トランスたちは「場」を切り捨てているのです。 当然それは、多くの人間関係を失う結果にもなるでしょう。ですからこれは、トランスジエンダーではない人たちが受け止めるべき問題です。そのことを忘れないでください。 72 3 第2章 性別移行

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